2022年にもなって、銃規制がまともにできない国が存在しています。それも先進国として世界をリードするような国がです。
乱射事件が何度も起きてその度に悲劇として記憶されているにもかかわらず、議論は硬直して前に進まないようです。その点だけでも、もう、住みたい国では無くなってしまいました。衰退著しいという印象です。残念です。

2022年にもなって、銃規制がまともにできない国が存在しています。それも先進国として世界をリードするような国がです。
乱射事件が何度も起きてその度に悲劇として記憶されているにもかかわらず、議論は硬直して前に進まないようです。その点だけでも、もう、住みたい国では無くなってしまいました。衰退著しいという印象です。残念です。
DeFi になぜ熱狂しているのかを語りました。
DeFi は複雑ですが、知るべき価値のある概念です。その理由を語りました。
DAO に置き換わる社会での生き残り方を話しました。後編です。
DAO に置き換わる社会での生き残り方を話しました。前編です。
人にうまく頼ることができると言うのは、素晴らしい能力だと思います。その能力を持っているか持っていないかで、長期的に得られる成果は劇的に変わるし、本人やその周囲の人の幸福度も変わってきます。きちんとお互いに役割を持ち、共存しあえる関係を作れるのだから、生産性以上に幸福度の観点から、優れています。
DAO の構成要素を考え、DAO の定義を考えてみました。また、この先に人類が DAO の時代を迎えるために乗り越えるべき課題について話しました。
わたしが「ナプキン」をとる。
その言葉を知ってから、いつも意識をしています。ジョジョの奇妙な冒険第7部、スティール・ボール・ランに登場するファニー・ヴァレンタインの名言です。
DAO のコンセプトが登場して以来、組織の未来はそこにあると思っています。古くはオープンソースコミュニティーも有志の善意によって DAO 的統治がなされてきたと思いますが、そこにコードによる法律的な縛りが加えられ、ソフトウェアによる客観的な統治が実現される未来が示されています。当然、コードは法律ではなく、コードで法律を定義することも難しく、完全な解釈のブレの無いルール作りは困難を極めますが、進むべき方向性は正しいと信じています。
Ethereum 関連のコミュニティーはいつも先進的な概念や言葉を発明するのが大好きです。DAO や BUIDL なんかもそうです。
そういうの、個人的にはあんまり良くないと思っていて、なんというか市場開拓の真逆を行く感じがしているのですが、逆に言えばハイコンテキストなカルチャーが育ってこそ、そこに飛び込むエンジニアの質も高まりますし、より高みへと向かう土壌が出来上がるとも思うので、技術発展という観点からコミュニティーの盛り上がりを見たときには、健全なことなのだとも思います。そいういう意味では、本来の役割を理解した適切なマーケティングができているのかもしれませんね。
そういう用語については今後も解説をしていきたいと思っています。今回は DeFi にいて。