クラウドは便利だ。だが、何もかもをクラウドに預けることに、誰もが少しずつ違和感を覚え始めている。
情報が蓄積され、使われ、結びつき、予測される。私たちの行動や感情、嗜好や関係性までが、見えない場所で計算されている。そのことに対する違和感は、もはや一部のリテラシー層だけのものではない。
では、この世界において、プライバシーを守るためにできることは何か。そのひとつの解が、「AI をクラウドから下ろすこと」ではないかと思っている。
いま、Apple の戦略に象徴されるように、AI はクラウドではなく、デバイスそのものに“住む”方向に進んでいる。iPhone の中で、Mac の中で、AI は自分のことを知り、自分のことを処理し、そして外に出ていかない。
計算性能のあるデバイスと、情報を手元に保持するという思想が結びつくことで、利便性よりも信頼性を重視する「クラウドよりも安全な AI」という構造が成立する。
この流れの中で、「どこで AI が動いているのか」という問いは、単なる技術選択ではなく、「誰がその情報を持つか」「誰がそれを見ないか」という政治的・倫理的な問いになる。
そしてここに、いま新たなアーキテクチャの余地が生まれている。
個人が自分のデータを握り、自分のデバイスでモデルを動かす。そういうローカル AI の構造は、クラウドの巨大集積とはまったく異なるリスク構造と信頼の設計を持つ。
クラウドがもはや“気持ち悪い”と感じられるようになったこの時代において、AI をどう動かすかは、「どこで計算され、誰のために動くのか」を問うことになる。
プライバシーを守るとは、個人情報を AI が使わないように制限することではない。使えるようにしつつ、渡さないという設計が必要だ。
AI の進化とプライバシー保護は、両立する。ただし、それはクラウドの中ではなく、ローカルの、エッジの再発見によって実現する。
