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雑記

誰にも伝える必要が無い情報

Slack で、メッセージサービスで、Zoom で、口頭で。分断されたインターネットの世界では、これほどの無駄を許容しなければならないのかと、振り返って絶望する。紙媒体が主流であった時代の、あるいは印刷技術が確立される以前のごとく、情報伝達のコストは跳ね上がったように感じた。

しかし冷静に考えれば、情報伝達の単位、伝えた情報の価値やそれが生み出す付加価値を評価すれば、コストは相対的に下がることに気づく。激減する。確かに労力が増えたのだが、過去の時代には決して伝達できなかった情報を最適な形にて即時性を持って伝えてることに成功したわけだ。情報伝達を諦める必要が無くなっている。

かつてはコストに計上されなかった事、そもそも試みられなかったほどの微細で繊細で高頻度な情報の交換が、今の時代の根底にあるコミュニケーションの前提になっている。その情報交換のプロトコルは、技術的にも文化的にも多様であり、かつ高コンテキストでもある。だから、体感としては労力が上がっているし、コスト負担が高まったように感じている。かつてはそもそも伝達を諦めた上で成り立つ社会であったわけで、諦めない前提である現代社会においては、負担の方が先に認識されているに過ぎない。

ガンダムで語られるニュータイム的なコミュニケーションの前提、社会の構造というのは、この方向性を示唆していたのかもしれないと思った。必要の無い情報が流れ込み、プライベートなやりとりや仕事のやりとり以外でも、SNS を除けば他人の悪意が強い意志が流れ込む。コントロールする術を知らぬままに受信感度を高めれば、カミーユになるのは当然だろう。

「The Internet」では、利便性が重視され、経済合理性が重視され、人間の社会性が求めるままの急激な変化を遂げてきた。だからまだ、真にその可能性を有効に伝えているのかはわからない。よってフリクションが起きるし、人は疲弊もする。システムやプロトコルが進化しても、人類の側の成長は遅い。
ソリューションは当分提示されないだろう。摩擦が大きいほど、産業としての規模も大きくなる。だからどうすれば良いという意見が述べたいのでは無く、自分が置かれている現状を正しく認識したくて、思ったことをまとめておいた。

この情報は、誰に伝える必要がない情報だ。しかし、だからと言って無意味だとは考えない。情報伝達のあり方は根本的に変わった。人類を超越した受け手の発生という多様性の時代を迎えた。時間軸は大きな意味を成さないかもしれない。この2年の社会変化を傍観していて、より一層、そのように感じるようになった。

今年から言葉として区別するために多様し始めた「The Internet」の明確な定義は近いについ言語化してきたいと思っている。

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