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分散通信と中央中継の現実解を考える

P2P 通信を前提にしたメッシュネットワーク上で動作するメッセンジャーは、すでに実在している。一定の条件下では、既存の通信インフラから独立し、検閲や遮断に強い自由な通信を実現できる点は魅力的だ。次世代の通信の可能性を直感的に感じさせるプロダクトでもある。

しかし、この方式には明確な制約がある。一定数以上の端末が中継ノードとして機能しなければ通信が成立しないため、閉鎖空間や短期間に人が密集する状況でしか安定して動かない。日常的で広域な通信インフラとして考えると、どうしても不安定さが残る。

この制約に対して、まったく別の方向から現実解を示したのが、完全な E2E 暗号化を前提にしながら通信の持続性を確保したメッセージングモデルである。その代表例が Signal だ。Signal は「中央サーバーを排除する」ことで安全性を確保したわけではない。むしろ、中央サーバーの存在を受け入れた上で、それを信頼モデルから切り離すという設計を選んでいる。

Signal のサーバーは、暗号化されたメッセージを一時的に中継し、端末がオフラインの間だけ保管する。公開鍵の配布やプッシュ通知のトリガーといった最低限の役割は担うが、メッセージ内容を読むことも、過去の通信を復号することもできない。サーバーは存在するが、見ることも改ざんすることもできない中継点に徹している。

この構造を支えているのが、Signal Protocol だ。初期接続時の鍵交換は端末同士で完結し、メッセージごとに暗号鍵が更新される。仮に一部の鍵が漏れても、過去や未来の通信内容は守られる。サーバーがすべての通信を保存していたとしても、それ自体に意味はない。

重要なのは、ここに「信頼」が前提として置かれていない点である。Signal は運営者の善意を前提にしていない。クライアントは OSS として公開され、暗号仕様も文書化され、再現ビルドによって改ざんは検証可能になっている。「信じるな、検証せよ」という姿勢が、そのままシステムに組み込まれている。

この設計は、完全 P2P と中央集権のどちらにも寄らない。完全 P2P が抱える不安定さを受け入れず、中央集権が生む支配や検閲のリスクも技術的に無効化する。中央中継を認めつつ、中央を信用しなくてよい状態に追い込む。暗号による、きわめて現実的な折衷案だと言える。

一方で、通信インフラそのものを宇宙空間に拡張する動きも現れている。Starlink のように衛星通信をハブとするネットワークは、既存の電話網や地上インフラを迂回する。これはビジネスモデルだけでなく、安全保障、プライバシー、国家主権の前提をも書き換える可能性を持つ。通信の物理レイヤーが変われば、上に乗るルールも必然的に変わる。

電話が誕生してから、通信は何度も進化してきた。中央集権と分散の間を行き来しながら、技術と社会の妥協点を探し続けている。完全な自由も、完全な管理も、どちらも現実には成立しない。

だからこそ、いま問われているのは「どちらが正しいか」ではなく、「どこに現実解を置くか」なのだと思う。暗号によって信頼を技術に埋め込み、中央を必要悪として扱いながらも支配を許さない。通信の進化は、自由と安定の間で揺れながら、また次の形を探し始めている。

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Skype 消滅の意味

なぜ Skype があれほどまでに画期的だったのか、あらためて思い出しておきたい。

まず、通話が無料だった。

それまで国際通話は高価だったが、Skype はほとんど遅延もなく、クリアな音声で無料通話ができた。今となっては当たり前のことだが、当時としては衝撃的だった。

それが実現できたのは、P2P 通信を採用していたからだ。

通信コストを抑え、検閲を回避し、チャットやファイル共有を含む多様なやりとりを可能にした。副次的に遅延も少なく、通信品質も高かった。

すべての通信が P2P だったわけではないし、技術的には未成熟な部分も多かった。認証や暗号化の設計には改善の余地があり、セキュリティ面での脆弱性も存在したとは思う。

それでも、「それで動いた」ことが重要だった。実際に使われ、ネットワーク効果によって一気に広がったという事実は、情報通信技術の発展が人類社会をいかに変化させる力を持っているかを証明していた。

Skype はやがて Microsoft に買収され、設計も変わっていった。P2P の特異性は徐々に失われ、クラウドベースのサービスとして現在の形に落ち着いた。セキュリティや互換性、企業向けの要件などを考えれば当然の進化ではあるが、それと引き換えに、Skype が Skype だった本質も失われていった。

プロダクトが成長し、破壊的な技術がビジネスに組み込まれていく過程で、どこでどんな妥協が生まれたのか。Skype はそのプロセスをリアルタイムで見せてくれた、数少ない事例のひとつだったと思う。

「今は誰も使ってない」「Teams に統合される」といった話は本質的ではない。Skype に関して言えば、とっくに P2P をやめていたわけだけど、それでもかつて P2P 通信の代表例だったものが、情報通信の歴史から消えていくという事実には、不安を覚える。

それでも思うのは、インターネットの破壊的な技術はなぜかユーロ圏から生まれやすいということだ。興味深い。

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