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なぜマンガを読まないのか

正確には、読めないと言う方が適切かもしれません。アニメ好きでいわゆるマンガ・アニメオタクという風に認識されることが多いのですが、実はアニメの方だけであって、漫画は全くなのです。

文字が読めないというわけでは無いようです。本やネット上の文献を読む量は、そんなに少ない方ではないと思います。本だけに限定すると、毎月あたり5〜10冊は読んでいます。なぜ漫画がこれほど苦手なのでしょうか。

これまでに、たくさん漫画を買ったと思います。漫画好きからすれば微々たるものでしょうが、好きな漫画家や良いなと思ったプロットに惹かれて、全巻まとめ買いというのを何度もしたことがあります。しかし、引っ越しのたびに、それらはそのまま破棄されてしまうのでした。多くが、ビニールすら外していない状態で。
最初から最後(あるいは最新巻)まで読めた漫画は、数えるほどしかありません。

  • 北斗の拳
  • ドラゴンボール
  • ワンピース
  • ARMS
  • ぼくの地球を守って
  • 鋼の錬金術師
  • のだめカンタービレ
  • サンクチュアリ
  • 進撃の巨人
  • デビルマン

あと他にもなにかわすれているかもしれませんが、いま思い出したのはこんなところです。
共通点は、アニメを見て面白すぎて、漫画を読み始めたものです。サンクチュアリは、ある人物に必須だからと言われて読んだもので、入り口が特殊でした。

リストを書いていて気づいたのですが、読み始めた段階で完結しているか、まとまった量が出ていることは重要な要素であるように感じます。半年とか1年に1巻だけ出る連載中のものだと、どれだけ面白くても関心が途切れてしまって続かないということでしょう。

また、なぜ読まないのか理解に苦しむのですが、大切に祀ってまだ読めていないものもあります。

  • 攻殻機動隊
  • ナウシカ

これらもアニメを先に見て、その結果もっと深く理解したいというモチベーションで漫画を手にしています。

漫画が読めない事として考えられる理由は、情報量が多すぎるということです。能動的に、処理しなければならない情報の量が多すぎるのです。アニメのように流れていけば強制的に流し込まれるわけですが、本になっている場合、自分で処理をして満足し、理解し、次のページをめくることになります。つまり、理解をしたか、納得をしたか、解釈は足りているかということの判断が、自分に委ねられることになります。音楽や時間軸で、大事なところがどこかを示してもらえる映像作品とは異なります。そうなると、読むのにとんでもなく時間と労力がかかるのです。
つまり、1日に数ページしか読めないため、全く進まないのです。まとまった時間が取れないと、読めないし、そうなれば最初の1ページを開くことができないという悪循環です。Done is better than perfect とは言いますが、名作と信じ手にした漫画に対して、流し読むことがどうしてもできません。

漫画を読む習慣というのは幼い頃にはなくて、小学5年生のときに初めて、漫画ってものを読んでみたいと思い、本屋さんに連れて行ってもらったことを覚えています。その時、欲しかった漫画がなくて、よくわからないまま漫画っぽい見た目をしていたのでラッキーマンを買って、そのままちゃんと最後までラッキーマンは買って読みました。というわけで最初にリストにラッキーマンを追加です。漫画といえば大爆笑しながら読むものと、ドラえもんを見て期待していたためギャグ漫画しばりでした。
子供時代全く漫画を読まずに育ったのかと言えばそうではなく、植田まさしの漫画はほぼ全部がそろっていた環境にいたので、4コマ漫画に関しては相当読んでいます。あのフォーマットは良いですね。逆に言えば、4コマ以外の漫画に触れなさすぎたことがいまの結果を生んだのかもしれません。あまり関係ないように思いますが。

絵を読む能力が圧倒的に足りていないことが、可能性として高いのではないでしょうか。文字のほうが解釈にブレがありません。ネットカフェに行って集中モードで読めば読破できるかもしれないと思い、一度3時間パックを試してみたのですが、すでにアニメで2回も見た鬼滅の刃の1巻だけ読んでタイムアップとなり、圧倒的才能の無さを痛感しました。

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天気の子がおもしろくなかった人のための楽しみ方

非常によくできたすばらしい作品だと思います。美しい映像に、丁寧な作り込み。現代のハイクオリティーとはどういうものかを定義しているようです。そしてなによりも大ヒットしたので、間違いなく正義であり、存在価値は無限大です。

一方で、個人的にはストーリーが全く響かず、これまでの作品にあったような感動がありませんでした。これは、受け取り側の問題が大きいことです。話題作なので観たけれど、同じように感じている人がいるかもしれないとおもい、楽しみ方を提案してみます。

繰り返しますが、作品を楽しめなかったのは受け取り側の問題である可能性が高いです。泣けると聞きすぎたのがいけなかったのかもしれません。そういう目で観てしまったことが残念です。泣けるかどうかという基準で言えば、登場人物や表面的に現れる物語部分に共感できる要素が無く、常に客観的視点で観ていました。対象とされる視聴者層からはずれていたのかもしれません。クライマックスでは、エウレカセブンかな千と千尋かなとか、余計なことを考えてしまうほど集中できませんでしたし、音楽も単調に感じてしまいました。

公開時にリアルタイムで観たわけではありませんので、時代の流れの中での文脈を正確に捉えられなかったことも残念です。また、人間という社会的動物には、集団で社会的に影響を受けることで感情の変調幅を増幅させる特性があります。ひとりで切り離されて作品単体と向き合ってしまうと、コーヒーやワインのテイスティングみたいな状態になりがちです。別の言い方をすれば、雑念を排除し、複合的な要因の影響を最小限にし、ひとりで味わうことにはメリットとデメリットがあるということです。テイスティングをするのではなく、パーティーに参加するべき作品でした。

とてもわかりやすい作品であることに間違いは無いのですが、マクドナルドみたいな感じと言えば良いのでしょうか。誰が食べてもだいたい美味しいのです。ダブルチーズバーガーばっかり食べている僕としては、これ以上の褒め言葉は無いのでこれは褒めています。それでも、この作品に、監督に、勝手に求めていたことが多すぎて、期待とは違いました。

観た直後は、そんなことを思いました。

天気の子の楽しみ方は、岡田斗司夫さんの解説がなによりもわかりやすかったです。その内容も大いに参考になりましたし、自分の理解を補完してくれました。以下の文章は、大いに影響を受けています。(ちなみに僕はプレミアム会員なので、無料公開されている動画の先の先まで観ています。と思ったらこの動画に限って該当部分が全部無料になっている動画を見つけたので貼り付けます。)

この作品は、作者である監督自身が葛藤の末に、自分が作りたいものを作るという決意の現れであり、振り切れた姿だという解釈です。そう思って見直せば、しびれるほどの決意がみなぎった名作です。

秒速5センチメートルは大好きです。何度も観ました。そのように、過去の作品をその誕生当時に見ていた者としては、「君の名は」以降、葛藤が垣間見えていました。大衆受けする感動を売りにし、ヒット作を目指すのか。万人の理解は得られずとも自分が納得する作りたい作品を作るのか。後者の場合、大抵は国民的作品と呼べるような大ヒットは難しいため、両方を目指すためには段階を踏まなくてはいけません。それに、わかりやすい感動作を生み出すことの弊害も、造り手側は意識しているのでしょう。
例えばジブリ、宮崎駿は、その葛藤を続けた末に近年の作品が誕生していると考えることができます。村上隆がかつて著書の中で語っていた葛藤も、まさに同じ部分でした。

僕が理解している限り、うまくいく王道の展開はあります。その都度、時代に即した万人受けの要素を全面に押し出しつつ、一方で作者自身のこだわりやメッセージをその中に埋め込むことで、作品を重ねるごとに作者のわがままを通せる素地を築いていく展開です。教養的にも、商業的にも、感情的にも、思想的にもです。

天気の子に織り込まれた、思想的解釈や監督からのメッセージは特に腑に落ちました。

世界がどうなろうともかまわないから、自分のために祈る。この世界に何をしようが、一時的に社会に影響を及ぼすことはあっても、それで世界が終わったりはしない。人々はどんな環境でも生きていくことができる。

自分に言い聞かせるかのように主人公たちから語られるこれらの想いと覚悟は、これからも周囲の雑音は気にせず邁進するという、強い意思が感じられました。そう考えると、この先が楽しみでなりません。

売れるということの正しさ、その背景の葛藤、克服するための戦略的な設計、それが散りばめられた天気の子は、大変な名作でした。アニメ作家に限らず、あらゆる分野に共通する葛藤であり、問いを受け取りました。

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ハイスコアガールで気づいたゲーム業界とブロックチェーン業界の共通点

ハイスコアガールというマンガと、それを元にしたアニメがあります。これを見て感動したのですが、重要なことに気づかされました。そもそもネタがハイコンテクストすぎて、一般にウケるような種類のものではありません。けど、だからこそ、個人的にはハマりました。

まず作品の内容について。ちょうど今の30代の人が子供の頃が舞台となっており、娯楽の無い退屈な地元で、ゲームセンターに通いゲームに明け暮れる、というなんとも言えぬノスタルジーが漂う作品です。特徴は、登場人物です。ゲームセンターに似つかわしくないお嬢様が通っており、しかも最強だ、という感じの意外さがあります。登場するゲーム自体は全くそのまま実際の時代、ゲーム内容を持ってきており、わかる人にはわかる展開がたくさん用意されているのです。全く喋らないお嬢様ですが、ゲームのプレイスタイルやゲーム展開、ゲームで発生する効果音で感情を表すという斬新さが見所でした。

本題。見終わってからずっと感じてたことがあります。なぜあれほどのゲームの名作が日本で誕生したのか、日本からしか生まれなかったのか、ということです。そしてそれに加えて思うことがありました。言語の壁を超えて世界市場に、なぜいきなり通用してしまったのか。なぜそのほとんどが消滅したのか。消滅の予測やピボットはできなかったのか。ここから考えられることが多々あるのではないかと。
特に、セガ、ハドソン、SNK のように、ハードまで作っていて評価が高かった会社が、なぜ終わったのか。

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