シンギュラリティーが来る、という話をよく聞く。しかし、最近思うのは、それは「来る」のではなく、「すでに始まっている」のではないかということだ。
産業革命の最中にいた人たちは、それが革命だとは思っていなかった。蒸気機関の発明が単なる新しい道具のひとつに過ぎないと思われていた時代。鉄道網が広がり、人の移動速度が劇的に変わったにもかかわらず、それを「革命」と名づけたのは、もっとずっと後のことだった。
技術が社会を変える時、それは静かに、しかし確実に進行する。その只中にいる我々は、変化の「点」しか見えていない。点と点が線になり、面になるのは、いつも後になってからだ。
いま、生成 AI が登場し、あらゆる分野に入り込みはじめている。文章を書くこと、絵を描くこと、声を作ること、コードを書くこと、意思決定を支援すること──かつては人間しかできなかった営みが、少しずつ AI によって置き換えられはじめた。
思えば、インターネットの爆発的普及や、GPU の実用化、それにともなう並列処理演算へのパラダイムシフト、スマートフォンの普及。どこが開始地点だったのかは、いまはわからない。
多くの人は、おそらく、スマートフォンや AI を革命だと思っているだろう。でもきっとそれは、点に過ぎない。そう簡単に認知できないレベルの革命が、すでに起きていると考えた方が良いだろう。
地球の上に立っていると、地球が宇宙空間を猛スピードで移動していることに気づけないのと同じだ。僕たちはいま、巨大な運動の中にいる。だが、自分たちが運動していることを、感覚的には知覚できない。
AI によるシンギュラリティーも、きっとそうだ。
