これまで国家インフラとは、中央が管理し、国全体に展開されるものだった。発電所、通信網、水道、道路、データセンター。どれも「一箇所につくって、全体で使う」モデルだった。国家がつくり、国家が守り、国家が供給する。
だが、いまその構造が少しずつ変わりはじめている。
情報インフラや計算資源の一部が、特定の巨大企業によって運用されるようになったとき、国家の下にぶら下がっていたはずのインフラは、国家と並列の構造を持ち始めた。そして次に起こるのは、それらが中央に集まるのではなく、物理的にも論理的にも「分散」していくという変化だ。
分散とは、単に小さな単位に分けるという意味ではない。拠点を分け、所有を分け、制御権限を分け、電源を分け、ネットワークを分ける。すべてを独立して動かしながら、それらがひとつの構造体として機能すること。それが「分散型国家インフラ」の核心だと思っている。
このような構造は、災害時の冗長性や、地政学リスクの分散という観点から語られることが多い。だがそれ以上に、この構造が重要になるのは、「誰の主権で動いているか」を問い直す瞬間においてだ。
中央に属していないが、国家インフラと同等かそれ以上の社会的機能を持つ存在。クラウド、ブロックチェーン、ローカル計算資源、オフグリッド電源、それらが組み合わさることで、特定の国境や制度を超えた情報基盤が生まれている。
それが国家にとって代わるものになるのか、それとも国家を補完するものになるのかはわからない。ただ、明らかに言えるのは、インフラがもう「国家専属のもの」ではなくなりつつあるということだ。
インフラを国家がつくるのではなく、国家が地政学的な制約や時間の概念を超越する時代が来るのかもしれない。
