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雑記

分散と分断 Web3 の 10 年から学んだこと

Web3 が掲げた理想は、美しかった。

中央集権に頼らず、個人が自分のデータと資産をコントロールし、世界中の誰もが境界なく接続される未来。ブロックチェーン、仮想通貨、DAO。そのどれもが「分散」という言葉を背負いながら登場し、新しい社会構造を作ると期待された。

だが、あれから 10 年。
Web3 の歩みを振り返ると、その戦いはゲリラ戦に近かったように思う。巨大なプラットフォームに正面から挑むのではなく、既存のインターネットの隙間を見つけて突破口を作り、理想を実装しようとする動きだった。
しかし、ゲリラ戦は思想を広げることはできても、社会のルールそのものを書き換えるほどの力にはならない。

なぜテクノロジーだけでは世界は変わらなかったのか。
理由のひとつは、分散と分断が混同されていたことだろう。

Web3 が目指した「分散」は、本来は信頼を中央に集約しないための構造であり、権力を偏らせないための技術的デザインだった。
しかし実際には、コミュニティや陣営が分かれ、それぞれが独立した経済圏を形成し、互換性のないルールが乱立した。それは分散ではなく分断であり、小規模な世界が並列に乱立しただけとも言える。

分断が進むと、情報の共有が難しくなり、相互運用性は損なわれ、結局は新しい中央集権の誕生を促してしまう。
実際、Web3 領域では「非中央集権」を標榜しながら、一部のプラットフォームや取引所が圧倒的な支配力を持つという逆説が生まれた。
分散のつもりが、別の形の中央集権を招いたのである。

では、次の 10 年に残すべき教訓は何か。
それは分散を「構造」ではなく「信頼の運用方法」として捉え直すことだ。

信頼をどう社会に実装するか。これは、Web3 が提示した最も有用な問いである。
ブロックチェーンそのものよりも重要なのは、信頼を担保するためのコストをいかに軽減し、個人と社会がどのように真実を確認しあえるかという点だ。
この視点は、インターネット、AI、IoT を超えて、次世代インフラ全体に影響を及ぼす。

たとえば、プライバシー保持と透明性の両立。データの自己主権。相互運用性と標準化。分散型 ID による認証基盤の再定義。
これらは Web3 の失敗や停滞の裏側で残った、非常に重要な知財的資産である。

そしてもうひとつの教訓は、分散は電力と計算能力が伴わなければ成立しないという事実だ。いくら理想的なアルゴリズムを語っても、それを動かすための電力が中央に偏在すれば、構造は必ず中央集権に回帰する。
その意味で、日本のように電力と土地を地方が持ち得る国は、本来「分散インフラの実験場」になる資格がある。地方都市が計算能力を持つというテーマとも自然につながる視点である。

Web3 の 10 年は、テクノロジーだけでは世界は動かないという現実を示した。
だが同時に、「信頼をいかにデジタルで扱うか」という課題を社会全体に突きつけたという点で、大きな意味があった。
分散とは世界をバラバラにすることではなく、世界を切り離さずに成立する信頼の形を探すことに近い。

次の 10 年、私たちはこの問いにどんな答えを与えられるだろうか。
分断ではなく、接続のための分散へ。その実装こそが、AI 時代のインフラ設計における核心となるはずだ。

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