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雑記

差別の急増で思い出す過去・後編

それは中学生の時でした。地元の市の交換留学プログラムに選ばれ、アメリカに行くことができました。生まれて初めての国外への旅です。他の子供たちと一緒に渡米し、その後は一人でホームステイをして、現地の人と過ごすプログラムでした。
人生で感じた中で一番の緊張感でしたが、思いの外順応は早く、楽しい記憶が残っています。
初めて降り立ったアメリカで、様々なルーツを持つ人達に触れ合いました。その時はとにかく無知で、人種も文化もほとんど意識したことなかったのですが、あとで振り返ると実に多くの気付きがあったのだなとわかります。

僕は黒人一家と生活を共にし、彼らの所属するコミュニティーに触れました。同世代の友人同士の関わり方や仲間意識、地域の人達との繋がりに、今まで触れたことのない世界観を教えてもらいました。そこで感じたコミュニティーの結束は、強い印象を与えてくれました。

前編でも書きましたが、日本の田舎に生まれ育った割には多く、幼少期に他国・他文化から来た人達と過ごした経験を持っていたわけですが、それでも僕にはやはり、アメリカの雄大さは衝撃的以外の何者でもありませんでした。あの時、人生観が変わったと思います。テレビで見て知った気になっていた世界の広さとは、ちょっとレベルが違いました。単純にシアトルの空は高く、無限に近い世界の広がりを教えてくれているようでもありました。

そんな経験の中で、今でもはっきり覚えているのは、彼らを日本に迎え入れる時です。交換留学なので、逆にアメリカから友人たちがやってくるわけです。同世代の友人が、来日前に僕に相談してきた時の事でした。

「日本で、黒人はどう思われているの?」

最初は意味がわかりませんでした。13-14歳の子供同士の会話で、僕はそんな質問が出てくることを想像もしていませんでしたし、彼らの抱える不安や、彼らのコミュニティーが共有していた問題意識をこの時初めて、意識的に認識することになりました。知った気になっていたのに、何も分かっていなかったショックに襲われました。また、日本の社会もこの問題に対して加害者的立場にいて、同世代の子供を不安にさせていたという事実に、初めて当事者意識が芽生えました。アジア人として自分はアメリカの地で感じたことがあったにもかかわらず、自分の母国に彼らを迎え入れた時の状況を想像できていませんでした。

言葉を絞り出し、誰も人種など気にしていないよと答えたものの、本当にそうだっただろうかと不安になりました。正直、自分は意識すらしてこなかったから、答えることもできなかったのです。

でもよくよく思い出してみたら、アメリカに行くと言った時、黒人一家と生活をすると言った時、無邪気にはしゃぐ僕は、今では考えられない、考えたくもないような反応を目にしていたと思います。昔の田舎の町には、色々と理解されないこともあったのかもしれませんが、あまりにもみんなの前提意識、知識が欠落していたことを思い知らされました。

無知ゆえの偏見かもしれませんが、日本は人種に対して、こんなにも差別意識があったのかと思い知ったのです。それはトラウマとして今も心の中に残っています。幼いながらも、はっきりと嫌悪感を感じました。こんなことは二度と思い出すまいとさえ思ったほどです。

でもそれではいけないと、最近は強く思います。

後に、日本国内で、外国人中心のコミュニティーを作ろうとしたことがあるのは、あの時の嫌悪感が背景にあったのだと思います。
現時点で僕に何ができているということは無くて残念なのですが、このトラウマを乗り越えたくて英語が話せるようになったと思っているので、これからもできることをして、多様性を受け入れられる社会の発展に寄与していきたいと願っています。

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