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雑記

自動生成というアート

今さらですが、全力で NFT の分類をしています。その結果、これまで見えていなかった重要な概念に気づくことができました。

何を分類したかというと、NFT アートの市場を盛り上げている各種作品や、その背景技術についてです。背景技術については、それぞれの能性、課題、課題に対する解決策のロードマップ、短いながらもたどった歴史などを確認しています。加えて、実例として今流通している作品の市場での動向や主要な流通プラットホームの比較も行いました。
今回気付いたのはそのあたりの基本情報とは少し違う部分です。

NFT の中に、Generative Art という分類があります。いわゆる、自動生成されてる画像等をアート作品としているものです。そういった作品について、ただコンピューターが描画しただけのランダムな素材に価値はあるのかという議論が行われてきました。さすがに資産としての価値はないだろうという意見もあれば、そのような斬新なアプローチこそが現代アート的だという見方もありました。

僕のスタンスとしては、ランダムな画像で生成コストが低く、その分まず根本的には価値は低いものと理解していました。それに対してブロックチェーン上でユニークさをもたせることで、希少性を生み出し、一定の価値を生んでいると考えていました。

今回作品群を見ていて気づいたのは、Generative Art というのは、作品そのものを評価するというよりも、その生成アルゴリズム自体や、そのアルゴリズムを考えたアーティストを評価しているのという事です。実世界で例えるならば、アーティストの脳や、発想、さらに将来的なスタンスに賭けた価値判断をしている状態と言えます。

過去に、アルゴリズムによって無限に生成された音楽に価値はあるのか?それに著作権は認めるべきか?という議論を見たことがあります。その時は漠然とその概念を捉えていたのですが、今になって気付きました。結果として出来上がったものに対してではなく、そのアルゴリズムに対して価値を認めるべきなのです。そもそも、これはソフトウェアのライセンスの考え方そのものなのかもしれません。

この考え方で見直せば、Generative Art に分類される作品については、今後生成される可能性のある作品も含め、先を見通した評価をすることが可能になります。そこには、作品生成数やガバナンスの仕組み、付随するトークンの性質など、経済的な合理性についても加味して考える必要があります。それらこそ、アルゴリズム評価に含めるべきであるためです。もちろん、基盤ブロックチェーンや流通プラットフォームの将来性も加味するべきであります。

作品実態に対する評価も、アートの文脈で(可能化どうかは別として)必要ではあると思うのですが、それ以前に、このように評価検証すべき指標がありました。奥が深いです。

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