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雑記

恐怖心を取り戻すための行動

いつのまにか、気付いたときには手遅れでした。何がどうなって、この結果にたどり着いたのでしょうか。ふと気づけば、怖いと感じることがなくなっていました。恐怖心が無いのです。思い当たる限り、何に対しても怖さを感じません。これは事実上、感性が、あるいは人格が死んだと言える事態です。

なんとか取り戻す方法は無いかと思い、怖いもに触れてみることにしました。無理やりひねり出して思い出したのが、お盆ということもあって、ホラー映画の「リング」でした。そういえばこれまで一度も観たことがありませあんでしたので、この機会に観てみることにしました。さて、恐怖を感じることができるのでしょか。

結論としては、全く恐くはありませんでした。大変によく作られた映画だなということで、歴史に残る名作をみせていただいた感謝の気持が勝りました。もちろん最大の理由は、観たことが無いとはいえ、あれほど有名でパロディーもたくさん出ているシーンが豊富な作品ですので、本来その時代に出会っていれば怖かったものが、お決まりのパターン、伝統芸能を観る安心感に変わってしまったからです。

それ以外にも、気を紛らわせてしまった原因がありました。特筆すべきは、物語のいちばん大事なキーワードに古代文明が多数登場する部分です。

ビデオデッキにビデオテープ、ブラウン管テレビ、電話、ポラロイドカメラ、新聞紙。どれも、ノスタルジックな雰囲気が満載で、懐かしむ以外の楽しみ方がありませでした。また、現代に生まれた人たちには、これらの基本的テクノロジーやそれらが当たり前だった時代のライフスタイルなどの解説がなければ、理解できないだろうなと心配にもなりました。本当の古代と違って歴史の授業で習う範囲でもない程度の近代なので、体験していない世代にとっては未知の世界に映るかもしれません。

もしこの作品を田舎の旅館とかで観ていたとしたら、怖かったかもしれません。そこにいる間は、テレビも観れなかったかもしれません。さすがに薄型の液晶テレビだったりが中心の世界観ではそれも成り立たないのかもしれませんが、自然の闇とともに生きる田舎の環境は、科学で説明がつかない現象を想像させ、信じ込ませる力を備えています。

自宅で観てしまったら、窓の外の灯はいつまでも消えないし、いつであっても外に出ればすぐにコンビニが空いている安心感が漂っています。人は闇を恐れ、闇を削って生きてきたわけですので、きっとこの明るさが助けとなって、恐怖心をゼロにまで押し下げてしまったのでしょう。
それにしても、作品としてすばらしく、インパクトは想像を絶しました。

ですが、僕が抱えている問題は解決しませんでしたので、これからもあえて怖い事に挑戦していきたいと考えています。

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