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雑記

大量に動画を残してみる

人生で、死ぬまでに、あるいは肉体が消滅するまでに、どれだけの動画コンテンツを量産できるかが重要ではないだろうかと思っています。生きた証を残すという程度の話ではなく、これはわりと、今後の生き方の鍵になるかも知れないとついにも思い始めています。

何度も途中まで考えては、違うと自分に言い聞かせ、思考を切り替えていました。自分にはそれが無理だと決めつけたかったからです。あまり、自ら進んでやりたい部類の行為ではなかったからです。

思い起こせば、2006年頃から断続的にではありますが、動画配信を続けてきました。当時はまだ YouTube が誕生した直後であり、オンライン動画配信は過渡期で、iPod Video を用いたビデオポッドキャストが新時代の中心になると熱狂していた時代でした。アメリカ発のコンテンツに酔いしれ、あるだけ見入っていた日々を思い出します。
日本語のコンテンツがあまりなかったため、僕自身はテクノロジーや業界のトレンドの解説をする動画を始めました。2007年、Twitter がどのように社会に影響を与えるかという話題を配信したことを覚えています。
その後、日本のテックスタートアップ情報を英語圏に伝える英語の番組だったりと、コンテンツのバリエーションを増やしていきました。

転機が訪れたのは2013年、本格的にビットコインに関わりだしたときです。YouTube でチャンネルを持ち、ビットコインの価格情報配信を毎日行っていました。しかし全く視聴者数は伸びませんでした。誰も観ていなくても良いから半年は続けてみようという気持ちで、趣味としてひたすら頑張っていました。
それでも成果と呼べるものはあって、後にアイスランドで撮影した仮想通貨マイニング工場の動画が大手企業の代表者の目に留まり、それが縁で大規模な事業展開に関わらせていただく機会を得ました。それだけではなく、動画をきっかけとしてつながった縁はたくさんあります。

つまり結論ですが、今後の時代の流れを考えた時に、動画という形式での情報の蓄積は間違いなくプラスに働くという事です。それが合っている合っていないかではなくて、そしてできるかできないかではなくて、非効率的でも重視すべき時間資源の使い方だという事です。

今誰かが見てくれるかどうかも大切ですし、そういった短期報酬が継続の力となることは間違いないのですが、極論を言えば今この瞬間に観られるかどうかは重要ではありません。

この件について、動画の企画と撮影配信を実行しながら、考えを徐々にまとめていきたいと思います。

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