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雑記

マイノリティーだからこそ発言するべきと考えるに至った

社会の多様性は増していきます。これからも、それを止めることは誰にもできません。

6月は特にプライド月間ということもあり、あの象徴的な虹色を目にするたびに、性的マイノリティーな人たちの結束と社会的意義を感じます。これまで、面白おかしくテレビのお笑い番組などでネタにされてきましたが、それはもうとても恥ずかしいことであって、容認すべきことではありませんでした。少し前のコンテンツを見たら、驚くことが多々あります。
何も知らずに、考えずに、笑ってきた自分にもこの状況に対して行動を起こす責任があると思っています。もうとっくに、社会の変化を認識するべき時になっています。

これが時代の変化というものでしょう。過去の人類の歴史を振り返っても、ありえないことをたくさんしてきました。時代が進むにつれて、それに異を唱える人たちが現れ、長い年月をかけて常識が入れ替わって来たわけです。今も、まさにいくつもの常識が入れ替わっています。まさか実際に、自分が時代の変化というものを体感する時が来るとは、想像すらしていませんでした。今感じている変化は、後に続く様々な変化にも影響を与え、社会全体の発展の加速を促すことでしょう。

国籍をネタにするのも、人種をネタにするのも、容姿をネタにするのも、本来あってはならないことでした。仮に良い方向に褒める意図があったとしても、それは良い話題とは言えません。他に話すことはいくらでもあるはずですし、もっとお互いを尊重した関係性を築いていくべきでしょう。
特に、容姿を褒めるという行為は、その逆と同じぐらいには気をつけておいたほうが良いと考えています。相手の立場や考えも知らぬうちは本来、それは軽々しく話題にするべきことではないからです。

自分はというと、信じている技術、思想が、相当にマイノリティーだという事に気づきました。ビットコインなどという偏った思想に熱狂してしまっています。これまでは、いくら社会との隔たりを感じても、危険なものだと誤解されていても、別に気にすることはないと考えて何も行動をしてきませんでした。ひとりでおとなしくしていれば、これ以上に良い興味関心ごとはありません。心身ともに健康でいられますし、自動的にビットコインの成長が励みになります。自分が成長したような錯覚を得ることだって可能です。
ときより、ビットコイン懐疑論や頭ごなしに否定をする意見を見聞きしたとしても、そういう人もいるのだと言って放置することは実に簡単でした。実際、数年間そうしてきました。

しかしながら、自分もこのマイノリティーの一部として、やるべきことをやっていこうと決意しました。最近どうにも、ビットコインが置かれる状況に耐えられなくなってきたのです。様々なマイノリティーな人たちの行動やメッセージは、ガツンと響いて、勇気をもらいました。この先の叫びについては、ビットコインの人であるということに記しています。

すべての人々に感謝をしながら、僕にできることを始めていきたいと思います。

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